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【"小数精鋭"の若者に期待-農業学校は定員割れに悩む-】 読売新聞宮城版(2004.12.5)
■□□転機1997年秋。農業生産法人「板倉農産」(南方町)専務・阿部善文さん(38)の元に研修生としてやって来た伊藤政伸さんは、進路を決めかねていた。
当時、県農業実践大学校(*)の1年生。農家の長男なのに初めて運転した軽トラは水路に脱輪し、米袋のヒモも満足に結べなかった。だが50日間、阿部さんの背中を見ているうちに、だんだん農業に魅せられていった。
「自分の周りはみんな兼業農家で、専業の人に会うのはその時が初めて。職業として成り立たせようと頑張っている阿部さんの姿を見て、農業も本気でやれば面白いのだと知った。」26歳になった伊藤さんは今、そう振り返る。
■□□教育
「定員割れが続き、就農しない学生も約半数。頭が痛いですよ」。阿部さんの母校でもある県農業実践大学校の相沢長・農産学部長(56)の悩みは深い。
同校には農産などの四学部があるが、近年は入学社が定員の五割前後に低迷。中でも稲作を主に指導する農産学部は状況が厳しく、現在、二学年40人の定員に学生は13人だけだ。
「労働に見合った収入が得られないから『稲作は厳しい』と言われ、若者たちが就農しない」。相沢学部長はそう解説し、「今はまだいいが、親の世代が引退する時、就農しなかった卒業生たちが田んぼに戻ってこないと、日本の農業もいよいよ危ない」と憂う。
そんな中、意欲的に稲作に挑む阿部さんや伊藤さんのような卒業生の存在は、教員たちにとっても大きな支えだ。相沢学部長は「少数精鋭でもいい。やる気があって、地域のリーダーになるような若者達を育てていきたい」と語る。
■□□不滅の職業
伊藤さんは同校を卒業した99年、国際農業者交流会(東京)の海外研修生として渡米し、シアトル近郊のレタス農場で米国式の農場経営を学んだ。
朝から晩まで、10人前後のメキシコ人労働者たちと共に約50ヘクタールの耕地に広がるレタスを手作業で収穫し、箱詰めにした。技術面で学ぶ事は少なかったが「労働者がいて初めて成り立つ大規模農場の姿を見たことが将来プラスになる」と考えている。
帰国後、伊藤さんは地元・河北町で米や大豆など約80ヘクタールを作付けする生産集団(16戸で構成)に加入。最年少の担い手として期待を一身に集める。離農の進行によって「一部の大規模農場が人を雇って米を作る時代が来る」と見ており、組織を法人化する必要性も感じている。
前途は決して平たんではないが、伊藤さんは笑顔を絶やさない。「大丈夫。国があって、国民がいる以上、米作りは不滅の職業でしょう」
(*)県農業実践大学校
キャンパスは名取市、古川市、岩出山町の三か所。農業改良助長法に基づき、専門農家を育成する二年制の専門校として1977年に開校。現在、農産、畜産、園芸、経営開発の4学部で定員は1学年計70人だが、在校生は1年生38人、2年生26人。教員は県職員で、多くは県内各地の農業改良普及センターなどから赴任している。